現在、堺は料理人の使う代表的な刃物の産地として全国に知られています。
では、その《堺の刃物》というブランドイメージがつくられたのいつ頃だったのか。。。

堺は日本の夜明けの無頼となった町で、
今から約2000年前弥生時代中期には既に集落が営まれてました。

我々人類の祖先が道具として一番先に使いはじめたのは、
刃物だといわれ
そのころから
包丁が使われていました。

また、堺には世界最大の古墳仁徳陵をはじめ
数多くの御陵・堺の東部丘陵地帯にあり
当時この造営は想像を絶する大土木工事であったものと思われます。
工事用の鋤、鍬などの土工具が沢山生産され
職人は集落をつくって住みつき
今では丹南(タンナ)や日置荘(ヒキソウ)などの地名として
面影を伝えています。
その当時から、堺には「技術を持つ人」が集まっていたということです。

石包丁

山本刃剣蔵


時は流れ
天文12年(1543年)ポルトガル人によって
鉄砲、タバコが伝来しました。

堺の優秀な技術はここにも生かされ
戦国時代、戦に勝つには不可欠になった鉄砲の産地として
堺は重要な役割を演じ
当初、輸入品ので刻まれていたタバコも
天正年間(1573年〜)堺でも作られるようになりました。

その堺で作られていた輸入品を凌ぐ良質な煙草包丁に着目した徳川幕府が、
「堺極」(さかいきわめ)という印を入れて幕府専売品とし
全国に販売したことにより
堺の名は
刃物の切れ味の素晴らしさとともに
広く知られるところとなりました。

これが、「堺打刃物」・「堺刃物」のルーツと言われるべきものであります。

堺鉄砲 火縄銃 
摂州住榎並伊兵衛作 
山本刃剣蔵
タバコ包丁 

山本刃剣蔵

今も料理洋包丁として
鍛えられた鋼の切れ味に優るものはありません。

現在も600年の伝統が今も脈々と受継がれ、世界に誇る堺打刃物が生産されています。

昭和57年に、「堺打刃物」は通産省の伝統工芸品に指定されました。